気まぐれ日記 05年4月

05年3月はここ

4月1日(金)「七七日忌の法要が近付く・・・の風さん」
 花粉症でのたうちまわっている間に、4月になってしまった。今年も4分の1が終わったのである。庭の梅は終わり、桜の便りが聞こえ始める頃、車庫の脇に植えてある辛夷(こぶし)が、豪勢に花を大空に咲き広げている。
 昨夜は、七七日忌の法要と納骨が済んだことを伝えるハガキを印刷した。今日は、それに弔事用の切手を貼り付けた。天気は明日の夕方から下り坂になり、法要の日曜日は終日雨になりそうだ。墓前での式は、傘をさしたままで執り行われることになるかもしれない。涙雨か・・・、それもいいだろう。
 いつも利用している中古車屋に、車のカタログを頼んであったので、受け取ってから帰宅した。5月でワイフのイプサムが5年になるので、買い替えるつもりだ。ワイフが気になっている車種のカタログを手に入れたので、たぶんその中から選択することになるだろう。この付近をちょこまか走っている割には、年間の走行距離が1万キロにもなっている。タフで安全な車にしなければならない。
 今年の夏は新盆になる。兄貴たちにはまた当地へ足を運んでもらうことになるが、夏休み中には、こちらからも家族全員で福島へ行こうと思う。父の遺品の形見分けをしたい。新車で行くことになるだろう。そう言えば、父は亡くなる3年前までハンドルを握っていた。父のコルサを譲り受け、2年間乗った後、今のミッシェルに買い替えたのである。つくづく運転の好きな一家だと思う。

4月2日(土)「スポーツ観戦と父の思い出・・・の風さん」
 プロ野球が開幕した。スポーツ観戦が好きな風さんは、社会人になってからほとんどテレビを観なくなったので、新聞で結果を確認する程度である。それも次第に減っていて、今もっともしっかり読んでいる記事がプロ野球か(ただし、興味は日本よりも大リーグに移ってきているが)。
 スポーツ観戦が好きなのは、もしかすると父譲りかもしれない。晩年の父は、プロ野球、高校野球そして大相撲は欠かさず観ていた。
 息子として父との交流はきわめて少なかったが、後悔はない。
 大学生のころ、仙台に金やんロッテがフランチャイズした。本拠地は宮城県営球場である。定年になったばかりの父は運転免許をまだ取得していなかった。生意気にも(当時の感覚としてはそうだった)マイカーを持っていた私は、1度だけ父とロッテ戦を観に行った。車は球場周辺に自由に置いて良かったのだ。飲み食いもせず、まして応援グッズを用意するわけでもなかったが、生の迫力に感動した夜だった。恐らく父にとって、ナイター観戦は生まれて初めてだったのではないか。
 就職して愛知県へやってきてから、関西地方が身近になった。甲子園に母校の秋田高校が出場すると、応援に行きたくてしょうがなくなる。憧れて入って高校だったし、授業をさぼって試合の応援に行ったのが懐かしい思い出だ。
 夏の大会に母校が出場したとき、父を誘って応援に出かけた。父はわざわざこのために東北から出てきたのだ。その日の初戦で、最寄の駅から始発の電車に乗らなければならなかった。それでも、試合が始まるころは、甲子園らしい炎天下の熱戦となり、テレビでは得られない応援の臨場感を満喫した(というより試練だった)。残念ながら母校は破れたが、アルプススタンドで、立って校歌を斉唱する私の横で、父の鼻をすする音が聞こえた。
 父とはもうナイター観戦をしたり甲子園で母校を応援したりすることはできない。しかし、自分がそういう機会に恵まれた時は、きっと父を思い出すことだろう。父との交流はわずかだったが、数少ないながらも貴重な思い出が残っている。父と息子というのは、それでいいのかもしれない。

4月3日(日)「忌明けのプラモデル・・・の風さん」
 1週間前から天気予報は雨だった。昨夜の天気予報でも、降水確率は80%で、夜は雷も・・・と出ていた。それがどうだろう。青空こそ見えないが、空は薄い雲で覆われているものの、降ってくる気配はない。
 喪服に着替えて待っていると、兄夫婦やワイフの家族らが続々とやってきた。皆、異口同音に天気予報が外れたことを喜び合う。
 お寺までが近すぎて、油断したため、予定の時刻に遅れた。急いで祭壇の準備をしてもらう。骨壷、遺影、位牌、仏壇用の仏像などが飾られる。今日の儀式では、準備を進めてきた私が喪主をつとめるので、兄より上座に着いた。般若心経を渡されて、神妙に待つ。住職の厳かな案内で、法要は始まった。
 最初に得度式、続いて、位牌や仏像に仏性を入れる儀式。そして、七七日忌の法要である。法要では、住職の先導で般若心経を読んだ。先日の上司の一周忌の法要でも般若心経を読んでいるので、比較的自然に読み上げることができた。
 全員が焼香を上げて、忌明けの法要は終了した。
 続いて、墓地へ移動し、納骨の式となった。正午を少し回った頃合いで、いよいよ雨が降るどころか、青空まで広がり、陽射しが初夏のようだった。
 墓石の手前を開き、白布を兄と私が左右から持ち、その上から住職が父のお骨を残らず納めた。これから何十年もかけて、家族が次々に骨になって、ここに一緒に眠ることになるのだ。最後にその儀式を執り行うのは、私の息子だろうか。どうであれ、そうなることが人間の定められた運命であり、またそうなることが幸せなのだ。
 庫裏へ移動し、お抹茶を頂戴しながら、住職から戒名の謂れを聞いた。「竹密にして流水の過ぐるを妨げず、山高くして豈(あに)白雲の飛ぶを礙(さまた)げんや」から引いたそうで、教育者一筋に生きつつ、自らも一生学び続ける姿勢を維持し、どれだけ高みに到達しようとも驕らず、後進を導いてきた、そういう意味合いで命名したのだという。竹叟俊海居士(ちくそうしゅんかいこじ)。それが父の戒名、法名である。
 その後、伊勢湾に臨む旅館へ席を移し、会食となった。海の幸が次々に運ばれ、供養のためと残らず平らげた。食後は、旅館の温泉にも入った。さすがに海浜の地底から湧いた湯だけあって、プランクトンやエビ・カニの子供がたくさん泳いでいるような、いろいろ浮遊している不思議な温泉だった。
 しかし、穏やかな海から打ち寄せる波の往復運動を眺めていると、時間の進むのが普段の百倍くらい遅くなったような気がする。
 夕方自宅へ帰り、着替えていると、急に雷の音がし出した。日中は天気予報が大外れで、夜になってピタリと当たり出したことになる。しばらくするうちに激しい雨になってきた。
 私は、今年の元旦に初売りで買った1000円のラジコン・カーを組み立て始めた。こういう時にしかできない、根気のいる作業で、これも父の供養である。

4月4日(月)「大入りの万博見学・・・の風さん」
 夕べの雨が今朝も激しく降り続いていた。早起きしたが、万博は無理かと思った。
 せっかく兄夫婦が福島県からやって来たので、万博へ案内しようと計画していた。私は、今日は有休である。
 当てにならない天気予報だが、ローカルの有線放送をチェックすると、午後から晴れると言う。新聞の予報もそうなっていた。それなら、と出かけることにした。8時半過ぎに兄夫婦が宿からやって来て、うちのイプサムに、次女も乗り込んで、5人で出かけた。出発する9時ころにはもう雨は上がっていた。「昨日も今日もお父さんのお陰で雨雲が逃げていくみたいだね」昨日から何度も繰り返された話題である。
 ナビに入っている地図が古くて、目指す「ながくて南」駐車場が特定できなかった。しかし、画面に映し出された地図から判断すると、愛知淑徳大学の長久手キャンパスの近くらしい。知り合いの先生が勤めておられる場所だ。その先生からの夕べのメールでは、教授に昇格されるらしい。将来のパパやママに必要な情操教育を目指しておられるユニークな先生だ(数学がご専門である)。
 駐車場でイプサムを降りたら、風が冷たくて、前途に不安の影がよぎった。
 この日の私の格好は、きわめて悪趣味である。ウエストバッグは財布代わり。デジカメのケースをベルトに装着している。トレーナーの上に、ブラウンのシェーバーで当選したコットンのジャンバーを着込み、リュックを背負っている。中身はおにぎり等。早起きしたワイフが握ってくれた。頭にはディズニーシーで買ったミッキーの船員帽を乗せ、これまたミッキーのサングラスをかけている。ちゃらんぽらんだが、とにかく両手は空いている。
 入り口のセキュリティチェックで引っかかった。おかしい。金属などほとんど身につけていないのに。しかし、係員が多忙で私のボデーチェックに来なかった。で、そのまま入場。
 グローバルハウスの冷凍マンモスを目指したが、既に午前の整理券配布は終了しており、午後は3時からとのこと。ほとんど絶望。兄の希望でガス館に入ろうと100分待ちの列に並んだ。時間つぶしにお菓子を食べ始めたら、「並んでいる間は飲食禁止です」だと! 付近の子供らの真似して、持参のPSPを始めたが、画面は反射して見えないし、イヤホンは周囲がうるさくてさっぱり聞こえなかった。
 ようやくガス館の炎のマジック・ショーを見終わり、屋上に上がったらあずまやがあった。ベンチに腰掛けて、おにぎりを出したところで、係員がやってきて「ここでは飲食は禁止です」だと! じゃあ、あずまやで座ってぼーっとするだけか!?
 (トヨタ館を諦めたのだが)ロボットステーションでは目の保養をした。コンパニオンロボットのアクトロイドである。動いてしゃべるマネキンだ。そもそも美人にできているところへ、まばたきしたり、小首をかしげたり、色っぽい仕草をするので、もう見惚れてしまった。これだけ美しい仕上がりなのだから、アクトロイドなんぞという無粋な名称でなく、「氷美子さん」とかいった固有名詞にしてあげればいいのに・・・。
←これがアクトロイドのお姉さん。
 東南アジア、オセアニアのパビリオンをはしごしてから、IMTSでロシア館を目指した。マンモスの全身骨格モデルを見学するためだ。途中、EXPOドームを横目に見た。今日は大相撲万博場所があったらしいが、名残もかけらも感じられなかった。マンモスの骨格モデルの横に子マンモスの剥製があって、可愛かった。売店はマンモス・グッズがたーくさん。
 チェコ料理(かなり素朴な家庭料理だ)のレストランで時間切れとなった。急いで公式グッズのお店へ移動し、元来た道を戻って家路を急いだ。
 「今日は、これまで最高の人出だったに違いない!」
 強烈に主張するワイフが深夜までテレビのニュースに注目していたが、何の報道もなかった。仕方なく、私がインターネットで確認すると、これまでの最高入場者数7万5千人を上回る7万7千人という記録だった。
 「なーんだ。15万人はいたかと思ったのに・・・」
 まだ悔しがっているワイフに付き合っているヒマはないので、先にさっさと寝た。

4月5日(火)「杉本画伯は1周忌・・・の風さん」
 おびただしい量の花粉が飛散する日が続いている。会社の診療所でもらった薬では効果がなく、売薬も服用し出しているが、それでもピタリとはおさまらない。つらい日々である。
 昨年の2月10日に98歳で亡くなられた杉本健吉画伯も、さきごろ1周忌の法要を終えたそうで、四女の清子さんからていねいなお手紙を頂戴した。しかも、うれしいことに、画伯の絵の複製(ちょうど色紙の大きさ)が同封されていた。画題は「蓮上童女」である。
 虎は死して皮を残し、人は死して名を残す、と言うが、画家は絵を残し、それを生前ゆかりのある人たちに配ることができるのだから、うらやましい。作家である私は、せいぜい未発表掌編小説でも遺作として残しておくか。
 「蓮上童女」を色紙を飾る額に納めた。豪華な額ができた。どこへ飾るか迷って家の中をあちこち物色していたら、玄関の靴箱の上にトールペインティングの五月セットを展示途中だった。もちろんワイフの領域だが、ちょうど中央に額のスタンドが空で置いてあったので、額を乗せてみた。当然ピタリとおさまった。あとで発見したワイフが「やーだ、私の作品を飾ろうと思ったのにぃ〜」。だめだめ。杉本画伯の作品を押しのけてまで飾れる作品はあろうはずがない(あははは・・・)。
 今夜、薬局で新規に購入した鼻炎用カプセルを飲んで寝た。明日はどうなるのだろう。

4月6日(水)「ついに『円周率を計算した男』が大学入試問題に・・・の風さん」
 高校の受験問題に使用されたことがある『円周率を計算した男』が、ついに大学の入試にも使われた。出版元の新人物往来社を通じて郵便物が届いて知った。
 東邦大学理学部の入学試験問題で「国語」に引用されたのである。長文問題で、読解力を試されている。うっかりすると私でも間違えかねない。なぜなら、選択問題は少なく、「二十字以内で答えよ」といった設問ばかりだから。しかし、入試問題に使用されるとなると、次は「国語」の教科書かな、と期待してしまう。価値ある仕事をしたような気がしてくる。こうなると、印税などどうでもいい。
 東邦大学からは、今回の問題を冊子にまとめて高校生や予備校生に配布したいので許可願いたい、と求められている。私としては認めたいのだが、いちおう出版社の意向も確認してから許諾するべきだと思う。ところが、そうなると、担当の編集者に連絡をとらねばならず、原稿を足掛け3年も滞らせている私としては、非常に苦しい。
 原稿遅れを花粉症のせいにすることはできないよなあ。

4月7日(木)「トレーニングも徐々に復活・・・の風さん」
 あちこちで桜が咲き出した。月曜日の万博が最後の寒さだったかもしれない。帰宅して半袖Tシャツに着替え、トレーニングに出かけた。
 父の急死でペースが落ちていたトレーニングだが、だんだん復活してきた。執筆のためにも体力は不可欠だ。今夜は、今年通算で16回目である。週末にやや暴食した傾向があるので、体重の増加を心配していたが、それほどでもなかった。トレーニング後の数値は、血圧正常、肥満度が−0.1%つまりBMIが22.0で、体脂肪率は18.2%だった。やはり週に最低2回は通いたい。
 花粉症の薬も1日に2回服用している。今がピークなのだろう。

4月8日(金)「父の戦友からの電話・・・の風さん」
 父の七七日忌法要と納骨が終わったので、生前の父の知り合いに報告ハガキを出した。何らかの反応を期待しているのも事実だし、もしかして墓参に来られてもよいように、墓地が拙宅の近くにあることも知らせた。
 昨夜、最初の反応があった。岐阜県在住の方からの電話で、「父とはどういうお知り合いですか」と尋ねると、戦友だった。父のアルバムにも戦争中の写真はけっこうあったし、復員後というか戦後何度か戦友会もあって、そういった写真も残っていた。さらにこの方は、私の母方の伯父の名前まで口にされた。かなり親しく付き合っていたような感じだ。「ぜひお墓参りにいらしてください」と伝えたかったのだが、かなりせっかちで一方的な喋り方をする人で、会話は短時間で終わってしまった。
 父のことでは、学生時代と軍隊時代のことがほとんど分かっていない。軍隊時代のことについては、アルバムの写真などを元にしてインターネットで検索してみたい。中国戦線で戦ってきた父なので、大好きな伊藤桂一さんの小説にも場面が登場しているかもしれない。学生時代のことについては、特に駒場の東京帝国大学農学部農業教員養成所の後輩に当たる人の「自分史」を発見したので、地元の図書館で国会図書館から取り寄せて読んでみようと思う。それよりも、駒場時代の同級生がここ愛知県に住んでおられるらしいので、そっちへ尋ねるのが正しいのだろうが。

4月9日(土)「執筆復活してすぐダウン・・・の風さん」
 花粉症の薬の副作用のせいか、どうも体がシャキッとしない。これで鼻炎がピタリとおさまっているならまだしも、鼻の奥は常に時限爆弾をかかえているような疼きがある。
 とはいえ、実に久しぶりに執筆の態勢が整った週末である。およそ2ヶ月ぶりに原稿ファイルを開いた。冒頭の部分を読み出して、細かい部分をほとんど忘れていることに愕然とした。頭の老化が進んでいるのは、パソコンで何とかバックアップするしかない。
 午後、近くの図書館へ出かけ、相互貸借の権利を利用して、他図書館から本を取り寄せてもらう手続きをしてきた。路傍の桜樹は五分咲きといったところか。再出発にはふさわしい。
 夕方、ワイフと買い物に出かけ、花も買い、その足で父の墓参をした。1週間前の花はほとんど枯れていなかった。父の大好物の「おはぎ」を供え、合掌後、すぐにお下がりとして頂戴した。お寺の境内には数百本の桜樹が植えられていて、ここは満開に近かった。1週間前だったら、参列してくれた人たちにも見せられたのに。帰路、犬を散歩させているお庫裏(くり)さん(住職の妻である大黒、寺庭婦人あるいは浄土真宗で使う坊守(ぼうもり)のことを当地ではこのように呼んでいる)と出会った。お寺に預けた骨壷の処置について尋ねたら、専用の地下室に砕いて納めるとのこと。
 夕食前に、万博で買ったパプアニューギニア製の木のお面を玄関に飾った。黒色は焼いて炭化させたものらしく、触れると手が真っ黒になる。試しにブラシがけすると、どんどん色落ちし下地が見えてくるのでそのままにした。
 夕食後、ソファに横になったら、そのままダウンしてしまった。

4月10日(日)「ゆったりと執筆モードへ・・・の風さん」
 昨日に続き執筆モードへ徐々に復活しつつある。
 新鷹会で発行している「大衆文芸」という同人誌があって、その編集のお手伝いをしている。私が分担しているのは、コンスタントに原稿が集まるように、あらかじめ年間寄稿計画を作成し、毎月予定者に執筆確認の往復葉書を送付することだ。ボランティアなので、経費はすべて自分持ち。この往復葉書印刷をパソコンを用いてやっているのだが、毎回のように印刷でミスをする。そうなると、失敗した1枚100円の往復葉書を郵便局へ持って行き、手数料を支払って新品と交換してもらう。それはすべてワイフに頼んでいるのだが、あまりにもミスが多いため、ワイフは呆れ返っている。インターネットが通じる会員が徐々に増えているので、電子化するまでの我慢ではある。今日も、5・6月合併号の寄稿確認のため、ネットが通じていない3名分を印刷してミスをした。返信側に印刷すべき内容を往信側に印刷してしまったのだ。
 今日は夕方から雨になるらしいので、往復葉書を購入がてら、体育館にトレーニングにも行った。
 桜の開花はさらに進んで六から七分咲きといったところか。
 トレーニング後の数値は、先日とうって変わって悪かった。血圧は正常で、肥満度−0.1%(BMIは22.0)は良いのだが、体脂肪率が20.5%と大きかった。
 万博見物の気まぐれ日記を読まれた、愛知淑徳大学の先生から心温まるメールが届いた。
 先生は小学2年生の息子さんを連れて、土曜日に行かれたそうだ。
 先生ご自身も小学3年生のときにお父様に連れられて大阪万博に行き、随分と並んで三菱未来館とアメリカ館を見られたという。特に、アメリカ館では「月の石」や「ベーブルースのバット」の記憶が鮮明に残っておられるそうで、三菱未来館の思い出がないのはバーチャルな展示が中心だったのではないか、と推定されていた。今回、立場は息子から父親に変わり、はたしてご自分の息子さんが30年後にどのような思い出を抱いているだろうか、と最後に結ばれていた。

4月11日(月)「花は桜木、人は武士・・・の風さん」
 今日は終日雨との予報だったが、また外れた。朝のうち少しぱらついただけで、ほとんど降らなかった。そして、気温もけっこう上がり、オフィス内での仕事は暑苦しかった。帰宅時、ミッシェルを飛ばしていると、桜の花弁が降りかかってきた。突風が吹けばもっと散り出すのだろうが、ミッシェルの舞い上げる疾風では、こんなもんだ。それにしても、「花は桜木、人は武士」とたとえられているように、この潔さには自らを反省させられる。
 早く帰宅したので、家族の夕食に間に合った。その食卓のすぐ横に、父の遺影と位牌を置く祭壇がある。定番のごはんや水の供え物以外に、どらやき、おかき、かきぴー、バナナ、クッキーが置いてある。最後は家族がお裾分けにあずかるのだが、父も我が家に祭られてさぞ満足していることだろう(父は甘党だった)。

4月13日(水)「愛のないマ・メール・・・の風さん」
 穏やかな気候の朝だった。最近寝不足でもめまいと縁がなくなったので、いくらか無理はできる。いったん会社に出て、1時間ほど仕事をしてからまた自宅へ戻り、今度は電車で出張に出かけた。名古屋までは睡眠の補充。
 名古屋駅で明後日の切符(勉強会のための上京と福島行き)を購入し、おにぎり2個の昼食を済ませて下りののぞみへ乗車した。ここで会社の同僚と合流。新大阪までは仕事の資料を予習した。
 新大阪からJRに乗り換えた。窓外の風景を眺めていると、こちらも桜が満開である。尼崎で下車しタクシーで出張先へ向かった。目的の事業所の正門脇にも桜が植えてあり、風が吹くと桜吹雪が舞った。
 2時間の充実した打合せをしたところで、同僚を置き去りにし、私だけおいとました。再びタクシーで尼崎駅へ戻り、逆のコースで家路についた。新大阪駅の構内で春限定販売の桜風味の生八橋「おたべ」をしっかり購入。
 新幹線と名鉄に乗車中に、短編2本を読んだ。
 6時半に最寄の駅に着き、迎えのワイフの車で自宅へ戻るや、電光石火の勢いで着替え、お稲荷さん2個を頬張って、ミッシェルで出発。今夜は7時から中学校のPTA委員会があるのだ。冷え込む学校で2時間の会合を終えて、ようやく9時過ぎに帰宅。再び、お稲荷さん2個でエネルギー補給した。
 先日、会社の売店で購入した「マ・メール」がようやく芽を出した。
 ←「マ・メール」、I LOVE YOU のI(愛?)がない。
 その後、書斎で新鷹会の運営組織(案)をしこしこと作成しているうちに、夜はとっぷりと更けてしまった。

4月14日(木)「スパムメールとの戦い・・・の風さん」
 明日からまた旅に出るので、夕方、さっさと退社した。
 何をするにも体力が基本なので、トレーニングに行った。今日は、ちょっと体重オーバー気味だった。トレーニング後の数値は、血圧はまあ正常として、肥満度プラス0.2%で体脂肪率が18.7%。BMIは理想値の22.0。
 ここ2ヶ月ばかり、スパム・メールが毎日10通以上舞い込む。配信拒否のメールは届かないし、URLからの配信停止入力はもしかすると、アドレス存在証明になっている恐れがあるし、同じ内容のメールでも、その都度送信アドレスが違っているので、受信拒否アドレスをいくら登録してもきりがない。それで、スパム・メール・キラー(フリーソフト)をインストールし、設定してみたのだが、まだうまく動作しない。何とか、こいつが動作するようにして、強力な防禦手段にしたいと思う。
 1ヶ月くらい前に2足歩行可能な鉄人28号が販売されると新聞に出ていて、欲しいと思った。先日、ニンテンドーDSで「ニンテンドッグ」とかいうソフトが今月下旬に販売されると知り、欲しくなった。昨日の新聞にも、某社がお留守番のできるロボットを販売する、と出ていた。しかし、これはデザインがよくないので欲しくない。今日のインターネットニュースには、「チビタマゴッチ」の販売が出ていた。ちょっと欲しい。

4月15日(金)「充実した新鷹会・・・の風さん」
 今月2日目の有休。来週もPTAの用事でで休まなければならない。ゴールデンウィークも近いのに、休み過ぎだ〜。でも、仕方ない。今日は、新鷹会の理事会と勉強会があるのだから。
 例によって、電車を乗り継いで代々木八幡へ。自宅からの所要時間は、3時間40分である。昼食はコンビニのおにぎりが2個(最近貧乏ったらしいな)。
 理事会で、今年の長谷川伸賞と池内賞の授賞者を相談して決めた。長谷川伸賞は初めて作詞家の人に差し上げることになった。かなり長い年月を第一線で活躍してこられた方で、ヒットも多いのだが、歌手や作曲家ほど日が当たっていなかった方であり、まさに長谷川伸賞にふさわしいのでは、ということで決まった。池内賞は身内の中から選んでいるので、コメントはパス。
 他に、「大衆文芸」送付先の見直し(最終案)と、会の運営組織(案)を伊東先生に渡して検討をお願いした。
 勉強会は19名も出席者があった。作品も3本朗読があり、充実した勉強会だった。特に、森一歩先生の批評が傑作で、何度も爆笑の渦に巻き込まれてしまった。
 今夜も、2次会には参加せず、代々木八幡駅で皆と別れ、小田急線、JR、東北新幹線を乗り継いで、福島の実家へ向かった。明日は、父の遺品整理の続きをやるのである。

4月16日(土)「父の遺品整理がほぼ終わる・・・の風さん」
 昨夜から激しい花粉症で、鼻炎用カプセルを飲んでも効かない。今朝も鼻が膨張したような感覚の中で起床した。霰粒腫も悪化したようだ。まっすぐ洗面所へ行き、とにかく真っ先に鼻炎用カプセルを飲んだ。
 この間の続きとなる父の遺品整理に精を出した。前回は本箱ひとつをひっくり返しただけだったが、今日は、残りの本箱や積み上げられた段ボール箱、衣装ケースの中などを、掃除機を何度もかけながら、ばらばらにしては捨てるものと残すものに分別していった。
 今回も再認識したことだが、やはり自分は父の血を引いているな、と思った。中学校や高校の参考書がたくさんあり、定年退職後もこつこつ勉強している。園芸の本やそれ以外の本も、丹念に読んでいるようで、抜き書きなども作っている。まさに勤勉が服を着て歩いているような人だったのだ。それから、日記類も出てきたし、整理されていない古い写真もたくさん出てきた。また、同窓会関連の資料もたくさん発掘できた。父の学歴に関わる、東京府立農林学校や東京帝国大学農学部附属農業教員養成所の資料も出てきた。
 それから、父の軍隊関連の資料には驚かされた。父は、関東軍独立守備歩兵第二十四大隊(満州第八四六部隊)三中隊に属していたのだが、先週拙宅へ電話をかけてきた戦友の方がまとめた小冊子『回想記』が出てきたのだ。その中に父の記事があった。昭和16年ごろの記録だ。下の文中H少尉というのが父である。
「・・・自分は中隊に残り、其の後、南叉分遣隊勤務となり、H少尉以下十余名、初めて中隊を出る。H少尉は東大農学部出身のインテリ将校で温厚なお方であった。・・・」
 戦友は15年徴収兵で、父の部下だったのだ。
 また、このとき、三中隊には私の母の長兄も将校の一人として属しており、よくある話かもしれないが、父は戦友の妹を嫁にもらったことになる。
 夕方5時まででほぼ遺品整理が終わった。意外と捨てる物が多く、夏休みに家族で来ても、子供らが欲しがる物はあまりないような気がする。私は、パソコンとスキャナーを持ってきて、出来る限り、画像データで残そうと考えている。現物ではしょせん寿命があるだろうから。

4月17日(日)「花粉、花粉、花粉・・・の風さん」
 昨日からとても良い天気だ。風もほとんどなく寒さを感じない。これで花粉が飛んでいなければベストなのだが・・・今朝も、花粉症で苦しくて5時に目が覚めた。呼吸困難だからだ。どうしてこんなに苦しいのか。夕べも就寝前に薬を飲んでいるのに。
 そこで、ふと思い当たることがあった。私が来る前に、母は布団を日光で干したという。確かに掛け布団などはふかふかだった。もしかすると、そのとき布団が花粉を大量に吸ったため、こうして苦しんでいるのではないか。大量の花粉にまみれた布団や部屋で生活しているから、死ぬほど苦しんでいるのかもしれない。思い立ったが吉日(?)、すぐに階下へ降りて掃除機を2階までかつぎあげ、徹底して部屋の掃除機がけをした。それから、安心してもう一度寝た。
 8時に再び目が覚めた。花粉症は完治していないものの、さっきよりは幾分楽になっていた。
 旅先とは言え、貴重な時間なので、昨夜から準備している手紙4通を完成させ(印刷は帰宅してから)、気まぐれ日記の続きを書き上げ、短編を1本読んで、出発準備オッケーとなった。しかし、今朝、とうとう最後の薬を飲んでしまったのに、まだ花粉症が治まらない。苦しい。霰粒腫の左目も涙がぽろぽろである。
 福島空港を3時40分に出発する飛行機に乗った。予約は1週間前だったが、特割切符が残っていたので(しかもインターネット予約したので)、電車を乗り継いで帰るより安い。福島空港に入っただけでも、少し楽になったから、やはり家の中が一番ひどかったのかも。ところが、乗った飛行機(フォッカー)のエアコンが壊れていたため、機内はやや暑かった。客室乗務員が「ごめんなさい」と言いながらペーパーナプキンとキャンディーを配っていたので、まあ、許してやるか(笑)。
 セントレアに着いたら、さらに花粉症が楽になった。やはりロケーションで花粉の飛散量は違うのだ。
 ところが、自宅に着いたら、またくしゃみが出た。やはり閉じた空間は花粉が閉じ込められてしまうのかも。

4月20日(水)「諸事雑感煩悩の徒・・・の風さん」
 朝から雨が降っていたので、試しに鼻炎薬を飲まないで出かけた。
 とにかくず〜っと薬漬けの生活なので、そろそろ普通の人間に戻りたい。
 ・・・そうではあるけれども、まだまだ油断はできない。・・・ということで、会社での定期的な血圧検査のために診療所へ行ったついでに、花粉症の薬をもらった。
 最近、やっと自分の時間が多少とれるようになった。執筆復活には、こういった環境が大事である。しかし、トレーニングに行く機会を最近失っていて、体がかちんこちんである。だったら、自宅でストレッチでも入念にやればよさそうなものを、それができないのが、人間の弱さだ(何を芝居じみたことしゃべってんだ)。
 人間の弱さといえば、またまた誘惑に負けて、シャーデーのCDをレンタルしてきた。ミッシェルのハードディスク・ナビに録音するためだ。ところが、3曲までしか入らない。容量がいっぱいなのだろうか。パソコンでコピーしたCDでもだめだった。
 一日中雨で、帰宅時も雨が降っていたが、回り道して、シャーデーのCDを返却してきた。
 そういえば、若桜木虔さんからまた新作が届いていたのだ。最近は、修善寺の新井旅館の女将に熱を上げているのか、またまたその女将が出てくる作品だ。『浜名湖・湯ヶ島 蛍祭りの殺人』(実業之日本社 838円税別)。まるで月刊誌のように新刊が出てくる。実に羨ましい。自分も何とか近付けないものだろうか。日夜、考えているが、無理そうだ。
 今夜はトレーニングの日だったが、雨ではちょっと難儀だから、中止。
 帰宅してすぐ鼻炎薬を飲んだ。外は雨だが、家の中は雨は降っていないから、用心のためである。
 最近、シルバーがときどきおかしい。今日も、何かしでかして玄関の物入れに逃げ込んでいるらしい。何をしたのか、ワイフも気付いていなかった。ところが、夕食が終わって、ふとピアノの下を見てびっくり。う○こがひとつ落ちていた。
 それから2時間後、書斎から階下へ降りたら、ワイフがため息をついていた。ちょっと目を離したスキに、シルバーが出てきて、ソファのカバーに汚れたお尻をこすりつけて、また物入れに駆け込んだのだという。おいおい。アルツハイマーでなければ、これは単なる嫌がらせだよなあ。
 またまた1時間後、シルバーが浴室の前で体を舐めていた。「洗ってやったわ」とワイフのひと言。
 口直しにインターネットでシャーデーの写真を探した。コピーしたCDのケースに入れるためだ。アメリカのヤフーを開いて、 sade photo で検索したら、すぐに見つかった。驚いたのは、ヌードもあったこと。それに刺激されて、またあれこれと探しまくった。これが、人間の弱いところ。煩悩から逃れられない。

4月22日(金)「長〜い1日・・・の風さん」
 人は年齢とともに時間が進む速度を速く感じるようになる。それまでの人生で蓄積した膨大なデータに比べて、1日、1ヶ月、1年さえもその比率がわずかなものになっていくからだ。そういう自然の摂理に反して、今日は、久しぶりに1日を長く感じた日だった。
 起床は普通だった。いつも通りにミッシェルで出社し、正午まで全速力で動きまくった(仕事した)。昼食を摂らずにそのまま退社し、帰宅(ここまでは一瞬だったと思うが)。帰りのミッシェルの中で、やけに鼻がスッキリしているのを感じた。これほど花粉症を感じない状態は、実に久しぶりである。爽快!
 自宅でワイフの作ってくれた昼食を食べる頃から、またまた花粉症が出た! エアコンの空気清浄機能を「オン」にしてサーキュレーションをかけたが、治らない。薬も飲んだ。
 シルバーは今朝から物入れに入って出てこないという。
 夫婦それぞれの車で、次女の通う中学校へ出かけた。今日はPTA。役員である私は総会での報告があり、ワイフは授業参観と学年懇談会にも出席しなければならない。中学校へ移動すれば花粉症がおさまるかと思ったがだめだった。鼻づまりのまま総会で報告。
 いったん帰宅し、ワイフとコーヒーを飲みながら夫婦漫才を展開。途中で電話があり、ワイフの新車が来週の水曜日に受け取れることになった。5年乗ったイプサムをウィッシュに替えるのだ。7人乗りのワンボックスカーは、マスターエースから始まって、エスティマ、イプサムと続けてきたが、今度が最後になるだろう。子育てが終了することを意味する。
 その後、再び、私は外出。夜は、中学校の教職員の歓送迎会なのだ。そういえば、小学校のPTAをやるときも同様だった。ワイフが運転するミッシェルで送ってもらった。野間大坊(のまだいぼう:源義朝が殺された場所近くで墓もある)近くの料理旅館である。
 宴会は私の最も不得意とするところで(本来人付き合いは苦手)、大広間に70人もいるだけで疲れる。ビールを舐めながら、ひたすら料理を楽しむことに。しかし、近くでの談笑には参加したから、けっこう色々と情報が入手できた。中学校にかかわる情報だ。それを聞いて、実に素朴で平和な学校だなと思った。ひと昔前の「荒れている学校」とは縁が遠い。幸せなことだ。(ついでに、私の本業を知る人はほとんどいない:田舎でこれだから、私はちっとも有名ではない)宴会は9時半過ぎまで続いた。ワイフからは「2次会に行ってきなさいよ」と背中を押されていたが、これ以上疲れるわけにはいかない。
 2次会へ輸送するマイクロバスを横目に見ながら、野間大坊の駐車場へ退避した。そこで、ワイフの運転するミッシェルを待つのである。
 暖かな晩で、風もほとんどなく、空は晴れていて十四日の月が中天に輝いていた。つまりほとんど満月に近いということ。その満月のすぐ隣に輝く星があった。月のすぐ近くで輝くということは恒星ではなく、太陽の光を反射している惑星の可能性が高い。私は、木星ではないか、と直感した。さらに満月の下方(南の方角)にも茶色っぽい星が見えた。もしかしてそれは火星では。
 帰宅してからステラナビゲータで確認すると、はたして満月の隣の星は木星だった。しかし、下方の星は火星ではなく、おとめ座のスピカで一等星だった。江戸時代の天文学者たちも、夜空を見上げながら、星々の動きを司る自然の規則を知ろうと夢中になっていたのだ。
 アルコールが入った状態では、仕事のやる気は出ないので(それではいけないのだが)、今年の元旦に購入したDVD「XーMEN」を観ることにした。久しぶりの映画鑑賞である。居間にあるPS−2(期末試験で成績の悪かった長男に使用禁止したもの)にセットした。映像は面白いがストーリーのよく分からない映画だった。ただし、このパックには「X−MEN2」も入っている。これは次回のお楽しみ。
 映画を観ている間にワイフはソファで爆睡していた。
 私は入浴し、出てきてから居間で読書を始めた。
 そこへ、朝から物入れに隠れていたシルバーがフラフラと出てきた。呼びかけると、ビックリしたような顔をして、回れ右をした。その後姿、お尻のあたりにぶらさがる異様な物体! う@こだ!
 再び押入れに隠れたシルバーを探すため、荷物をかきわけていくと、そこはう@こにまみれていた。さらに、玄関にあるトイレから上がりかまちまでに、う@こは落ちているわ、長男や次女の運動靴にこびりついているわで、深夜の大掃除が始まった。爆睡から覚めたワイフは、シルバーを風呂場で洗ってやらねばならなかった。
 就寝するまでに、満月とそれに付き従うような木星は、夜空を中天から西へかなり移動したはずだ。
 こりゃ長い1日になるわけだ。

4月24日(日)「何度目かの執筆再開・・・の風さん」
 朝から雲ひとつない青空で、気分は爽快・絶好調〜といきたいところだったが、相変わらず花粉症がおさまらない。特に自宅の階下にいると、すぐ鼻の中が膨張して呼吸困難になる。口だけの呼吸なので、喉まで痛くなってくる。
 昨日は1週間ぶりにトレーニングに行ったので、体調はグッド。疲労もほとんどなく、朝食後すぐに書斎に入った。メールチェックを簡単に済ませて、いよいよ執筆。調子が戻るまで、行ったり来たりを繰り返す。
 今日は、町内会の総会がある日で、昨年度の役員として、最後のお勤めである。午前中、準備を手伝いに行き、午後の本番では活動報告のときに前に並んだ。ちなみに、私の住んでいる町内会は、正式には自治会と呼ぶ。約400世帯、1200人強が居住している。町内では区として認められている、立派な行政の一対象である。
 とは言え、狭い町内のこととて、一昨日の中学校のPTA総会で、私が鼻詰まりに苦しみながらマイクで報告しているのを気の毒がってくれた人が若干名いた。
 総会後は懇親会があるのだが、近所の図書館に相互貸借で借りてもらった本を取りに行かねばならなかったので、ビンゴには未練があったがパスした。
 国会図書館から借りた本は、亡父が卒業した東京農業教育専門学校の後輩に当たる人の自分史である。駒場時代の思い出が、亡父の学生時代を推定できるだろうと借りたのである。はたして狙い通りで、駒場の校舎や祖師谷の農場での勉強の様子が分かった。先生はほとんど東京帝国大学農学部の先生を兼務していたという。また都内では、東京高等師範学校、東京高等体育学校と並んで幅を利かせていたようだ。この本は、館外への持ち出しもコピーも許されていないため、館内で持参したアシュレイに要点を入力した。
 あと3冊を相互貸借で借りたのだが、それらは執筆のための参考資料である。
 帰宅して、再び執筆。スロースターターは厄介である。
 ところで、スパムメールキラーが次第に威力を発揮するようになってきた。指定したドメインのアドレスや、タイトルまたは本文に指定語句が含まれているメールを、ばっさばっさとサーバー上から削除してくれる。アウトルックエクスプレスにダウンロードされるメールがぐんぐん減ってきた。うれしい。

4月27日(水)「風さまかヨン様か・・・の風さん」
 月曜、火曜と雨が降ったので、普通なら花粉症が出ないのだが、どうもスッキリしない。しかし、薬の副作用の不安も出ていたので、薬を中断して様子を見ていた。自分なりの診断はどうにも微妙なのだが、薬の副作用は鼻の奥と喉に出ている感じがする。薬を飲まないと、それが緩和することで何となく分かった。しかし、問題の花粉症がしつこく身にまとわりついているので、気分は依然として不快である。
 今日は、また見事な青空が広がった。
 花粉症がしばらく悪化しているうちに目の調子も悪くなっていたので、眼科へ行くため、今日はお休み。
 電車で名古屋の眼科へ行き、「うっとうしいので、そろそろ切ってもらえないか」と相談したところ、いつもと違う医者だったせいもあろう、「じゃ、切開しますか」ということになった。
 名古屋往復の電車で短編を2本読んだ。伊藤桂一さんの作品で、面白い。お歳をとってからの作品なのだが、軽妙で少々エッチな作品だ。スラスラと書き進んだ結果ではないだろうか。
 今日はワイフの新車を受け取る日だったが、夕方まで納車は無理とのことで、いったん帰宅し、トレーニングに行った。不思議と体重が減っていて、今日の結果は、血圧はまずまずとして、肥満度が−1.7%で、体脂肪率が19.5%、BMIは21.6だった。今月6回目なので、あと1回は行けるだろう。ゴールデンウィーク中も1日おきに行って基礎体力をつけたい。
 先週のことだったが、茨城県笠間市出身の74歳の女性からメールがあった。『怒濤逆巻くも』を読んで、メールする気になったそうだ。内容が興味深くて、その人の祖母の母親つまり曾祖母のことらしいのだが、小野友五郎の嫁になる筈だったと聞かされて育った、とのこと。真偽はともかく、歴史上の有名な人でも、私生活まではなかなか正確な記録は残っていない。どのような話でも、否定はできないし、あり得そうに聞こえる。話が伝わってなくても、それを作って埋めることで、その人物を立体的に浮かび上がらせ、我々と同じ目線に据えることで、人間を描くことができる。小説家の仕事である。
 昨日は、岡山在住の80歳前後かと思われる女性から手紙を頂戴した。この方は、昨年、私が東北大学附属図書館の企画展で講演したときに聴講してくださり、その折、その女性から岡山の和算に関する小冊子を頂戴していた。今度も、自作の随筆集を送ってくださった。同封の手紙をワイフに見せたら、「この人にとって貴方は、まるでヨン様みたい」という感想。「どうせぼくは老女にしかモテませんよーだ」
 さて、話を今日の夕方に戻して、トレーニング後、シャワーを浴びてから、新車を受け取りに出かけた。往復ともに有料道路を使ったので、2時間ほどで帰ってこれた。
 それからワイフを新車に乗せて海岸線を走った。岸壁の近くで止めると、打ち寄せる夜の波は音もすさまじく怖いほどだった。そこから運転をワイフにバトンタッチして帰宅。
 今日は長男の誕生日だったので、夕食はご馳走で、少しだけワインを飲んだ。
 食後テレビで尼崎の事故のニュースを見た。つい2週間前に私も出張で尼崎に出かけていた。もちろんJRを利用した。今回の事故は他人事ではない。
 少し仮眠してから起き出して、やり残した仕事を始めた。
 霰粒腫の切開は5月中旬の某日の午後に予約している。そのことをワイフに念押しして言った。
 「病院に付き添いで付いて来てくれるかい」
 「貴方、一人で行けないの?」
 「ダメか? じゃ、ホームページで一緒に行ってくれる人を募集するぞ!」
 「ふん。どうせ年寄しか応募してこないって」
 「それが、ヨン様に対するセリフか!」

4月28日(木)「ミッシェルの幌を畳んで・・・の風さん」
 今朝は資源ごみを出す日で、玄関先でミッシェルに新聞紙やダンボールを満載して出発。ごみ集積場で降ろしてから、出勤した。有料道路を使ってまっすぐ本社へ。
 昼過ぎまで会議(会議室では花粉症が出てつらかった)が続き、そのまま製作所へ移動。途中、コンビニでパンとコーヒーを購入し、ミッシェルの中でかじりながら走った。つまり、昼休みは「無し」。
 製作所でも連休前の最終日にもかかわらず次々に会議があり(ここでも会議室にこもっていると花粉症がつらい)、とうとう7時過ぎに。最後に机の上に残った雑用をいくらか片付けて退社。ミッシェルに乗り込むと、ウィンドウの曇りが気になった。しかし、外にいると花粉症が楽になるので不思議。
 帰路、ガソリンスタンドに寄って自動洗車機にかけ、窓の内側の汚れをとって、オープンカー状態に。備え付けの帽子をかぶり、サングラスをかけるとターミネーターのシュワちゃん気分となる。アクセルに少し力が入って、発進時軽くスキッドした。外気を思いっきり浴びながら走っても、花粉症はおろか寒さも感じない。いよいよ初夏が近いことを思わせる。
 昨夜は結局、2度目の就寝が午前3時を回ってしまった。今夜は、仮眠なしで、頑張れるだけ頑張るが、早寝になるようにしたい。明日から、執筆マラソン。とにかくキーボードを叩き続けてみる。それから、1日おきのトレーニングを心がける。インターネット関係は、夜寝る前だけ!

4月29日(金)「ウィルス退治の夜からぴょん吉と再会した夜・・・の風さん」
 初夏のような陽気の中、ゴールデンウィークが始まった。さあ、頑張るぞ。この心意気は、来週末にはどういう結果になっているか。
 と、ところが、スタートからこけた。日付変更線が今日へまたいだ時にそれは起きた。昨夜、就寝前に執筆マシンのウィルスチェックをかけた。これが何と2時間を超える大仕事となり、挙句、41個のリスクファイルが検出されたのである。それは他愛もない「adware」というヤツだったのだけど、最新ウィルス定義では19個しか削除できず、止むを得ず、ホームページから手動で定義ファイルをダウンロードして、シコシコと退治しなければならなかったのだ。・・・で、就寝が午前3時を過ぎ、今朝は、早起きできなかった。
 それでも、執筆マラソンは始めなければならない。しかし、ペースが上がらない。そのうち、トレーニングに行く時刻となってしまった。
 今日はフルコースで鍛えた。結果、またまた体重が減った。血圧は異常に低く、肥満度が−2.7%で、体脂肪率が19.9%。だから、BMIは21.4だった。こんな数値は、1年ぶりである。帰宅してからシャワーを浴びたのだが、体から水分が抜けていて、喉が渇くことおびただしい。そうか。花粉症で鼻水だらだらだったから、こんなに体重が減ったのだ。まるで試合前のボクサーだな。
 深夜、サンルームから外へ出てみたら、まるで寒くない。そのとき、ウッドデッキの上に、ぴょん吉を発見。これも数年ぶりのことだ。近くに池や沼、川もない高台の団地なのに、雨蛙が生息している不思議。
←接写できず、ボケボケの写真でごめんm(_ _)m。

4月30日(土)「涙ぐましい作家の努力・・・の風さん」
 ぴょん吉と再会した後、徹夜で執筆を続ける決心をした。
 午前3時頃まで何度も水分を補給に階下まで降りた。
 外が明るくなったのは午前5時頃だ。蒸し暑かったので、窓を開けた。
 その後、急激に眠くなり、また書斎で寝た。家の中で呼吸困難に陥ることなく眠れるのは書斎だけだ。今年はもう手遅れだが、来年は花粉対策のために絶対に空気清浄機を買うぞ。
 8時に目覚めて階下に降りたら、不機嫌なワイフと遭遇。子供らは皆出かけたと言う。ワイフの機嫌を直すため、ワイフが運転する新車で外出。近所の施設をトールペインティング作品展のために予約しに行ったのだ。なかなか田舎とは思えない洒落た建物で、係員も親切。奥ゆかしいワイフでは質問できないことまで、私が聞いてあげたので、満足できる部屋が借りられた。それで、ワイフの機嫌が一気に回復(ばんざーい!)。
 それから、ケーキショップでモーニングをおごってさらに機嫌を良くさせ、買い物に付き合い、最後は父の墓の掃除までして帰ってきたから、もう言うことなし。ああ、僕って出来た亭主だぁ〜(笑)。
 それから執筆マラソンが快調になってきた。
 夕方には、図書館へ予約した本を借りに行ったついでに、1時間そこで執筆までした。なーんだ、できるんじゃん。
 なぜこんなにワイフを大事にしたのかって? 今日はね、結婚記念日だったのよ。でも、イベントは、な、し(涙)。
 今夜も徹夜の態勢で、執筆マラソンである(これも涙か)。

05年5月はここ

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